小説「電子の海で真実の愛を見つける方法」/作:藤間丈司
好きだけれども辛い恋愛になってしまうことってありますよね。相手が悪いって思っても、好きだから踏ん切りがつかない。そんな時、この恋を続けるべきかを整理します。
第十章「望まない相手を避けるために」
私は会議室で椅子に座って天井を眺める。口の中のポップキャンディがもう無くなりそうだ。御手洗は椅子にも座らず、ぐるぐると同じところを回っている。蒔田が部屋の中を片付けはじめた。さっきから何回もやっているから掃除するところもないだろうに。圭は目をつぶってじっとしている。落ち着いているようにみえるが、ミネラルウォーターの減りがいつもより早い。
私はスマートフォンを取り出す。予定より時間が掛かっているようだ。気分転換に身体をおもいっきりのばす。
会議室のドアがガチャっと音を立てて開く。すると、その場の全員が一斉に目を向ける。新堂さんがゆっくりと入ってきた。
「お前ら、そんなに俺のこと見るなよ」新堂さんはけだるそうな声で応える。
「どうだったんですか」御手洗は新堂さんに近付いていった。
「ああ……。開発に進めることになった」
「よっしゃぁ」御手洗が吼えた。
蒔田は感極まったのか涙を浮かべている。圭は新堂さんに近付くとハイタッチをした。
「まだ第一段階を突破しただけだからな。まあ、俺もうれしいが」新堂さんは頭を掻く。
「お祝いで飲みにいきましょうよ」御手洗はさっきからテンションが高い。
「いいけど。こんなに急だと予定がある奴もいるだろう。みんな大丈夫か」
新堂さんが見回すと全員がオッケーのサインを出す。
「まあ、これから忙しくなるから景気付けも必要だよな。じゃあ、行くか」
「お店の方は私の方で手配しておきますね。決まったら後で住所を送りますので現地集合でお願いします」
流石、蒔田だ。仕切りがしっかりしている。
私は席に戻ると帰る準備をする。スマートフォンがメッセージを受信したことを伝えてきた。蒔田からだ。会場の情報と大体の予算が書かれている。この店だったら以前使ったことがあるな。落ち着いた和食の店で静かに話せるところだった。いいセレクションだ。私は周りに帰ることを告げると、一直線に店へ向かった。
お店のあるフロアに着き、エレベーターのドアが開くと薄暗い。明かりは所々にろうそくを模したものがあるだけだ。床は黒い大理石風のタイルが敷き詰められて、わずかな明かりを反射している。
奥に進むと、カウンターに店員がいたので蒔田の名前を伝えて、後ろについていく。縁側のようなデザインの個室に通されたので、中に入ると新堂さんと蒔田、圭が座っていた。
「長谷部さん、お疲れ様です。こちらでいいですか」蒔田は自分の隣を示す。
「ああ。御手洗は?」
「御手洗くんはちょっと遅れます。先に飲み物だけ頼んじゃいましょう。長谷部さん、どうしますか」
蒔田がドリンクメニューを渡してくれる。和食だから、やっぱり日本のお酒がいいよな。
「じゃあ、この芋焼酎を水割りで」
「わかりました」
蒔田は手元の呼び出しボタンを押して、来た店員に注文を伝える。
「怜子ちゃん、飲む方だね」圭はニコニコしている。
「そんなには強くないぞ。一応、カロリーを気にしているだけだ」
「へぇ、怜子ちゃんスタイル格好いいもんね」
圭に言われると悪い気はしない。
「すいません、遅れました」
御手洗が部屋に入って来る。急いで来たからだろう。肩で息をしている。
「御手洗くん、お疲れ。飲み物は頼んどいたよ」
蒔田はメニューで御手洗のことをあおいでやっている。
「サンキュー、蒔田」
御手洗は圭の隣に座り、蒔田からおしぼりを受け取る。
頃合いを見計らったかのように店員が飲み物とお通しを持ってきた。全員の飲みものが揃うと圭の奥に座っている新堂さんがグラスを持ち上げる。
「それじゃあ、『ノルンズ・ノット(仮)』のプロジェクト開始を祝して、乾杯」
「かんぱーい」各々がグラスを鳴らした。
お通しは鶏の梅肉和えだ。疲れた身体に酸味が染み入る。
「ところで、『ノルンズ・ノット』ってどういう意味なの?」圭がたずねる。
「『ノルン』は北欧神話の運命の女神様で『ノット』は英語で結び目のこと。運命の糸みたいなイメージだな。まあ、仮名だけど」新堂さんが解説する。
「ふーん。凝ってるね」
「出来る限り多くのユーザーさんが自分に合った相手を見つけられたら良いと思ってさ」
「へぇ、そういう願いを込めてるんだ」
「ああ。マッチングアプリはどれだけ将来につながる出会いがあるかを求められているからな。その点に関するシステム設計に力を入れるっていう方向付けを共有するための名前でもある」新堂さんは生ビールをぐいっと飲んだ。
「やっぱり、プロジェクトが何を目的としているかきちんと決めておくと、壁にぶつかった時もブレにくくなるからな」
「おおっ、出来る大人っぽい」
新堂さんと圭が盛り上がっていると、蒔田がふぅとため息をつく。結構飲んでいるようだ。そういえば、今日はペースが早かったような気がする。
「私の’運命の人’はどこにいるんですかね」蒔田は手に持ったカシスウーロンをあおる。
「菜摘ちゃん、ため息ついちゃって。どうしたの?」圭が蒔田の顔をのぞき込む。
「この前マッチングアプリで会った人なんですが、返事が来なくなっちゃって」
「そっか。どのくらい来てないんだい」
「一週間です。それまでは毎日返事があったんです。私の方は本気になってたんですが、重かったですかね」
「好きな相手に無視されてるって感じると悲しいよね。何か思い当たることはあるかい」
「二週間前、初めて会ったんです。その時はとても楽しかったんですよ。でも、それからよそよそしくなって。やっぱりその時、しちゃったのがダメだったんですかね」蒔田はテーブルに突っ伏した。
「えっ、おまっ」
突然の告白に新堂さんはビールを飲む手を止めた。御手洗は箸で摘まんだ唐揚げを落として慌てている。
「うーん。しちゃったんだ。それほど彼のこと好きだったんだね」圭はゆっくりと落ち着いた声で蒔田に語りかける。
「はい。男の人ってしちゃうと興味なくなっちゃうって言いますよね。やっぱり、すぐにしなかった方が良かったんですかね」
「それは相手とか状況にもよるかな」
「たとえば?」蒔田が顔を上げる。
「遠距離とかでなかなか次に会うチャンスがない場合とか」
「違います」
「あとは、身体の相性を重要視しているタイプはまずしようとするよね」
「彼がそのタイプだとしたら、もう可能性はないってことですよね」
「まあ、そうかもね」
「ですよね。そういうのに引っ掛からない方法ってないんですか」
「やっぱり自分が扱われたいように立ち回るのが一番だね」
「どういうことですか」
「今回のことは決して菜摘ちゃんが悪い訳じゃないよ。でも、身体の関係を持ってすぐ離れていっちゃう相手を避けるには、すぐに身体の関係を持たないこと」
「ですよね」
「これは別のことにも言えることなんだ。深夜に連絡してくるような相手に振り回されたくなかったら、電話に出ちゃダメなんだ。相手の都合に付き合ったら、こちらは’それが苦痛じゃない人’って扱われる」
「まあ、わかります。でも、好きな相手だったらそこまで割りきって考えられないですよ」
「うんうん。でも、その相手の都合に一生付き合わされるとして、その人と一緒にいられるかい」
「でも、そのうち変わるんじゃないかって期待しちゃいます」
「確かに変わるかもしれないね。でも、それは相手次第なんだ。変わらなくても好きでいられるかは考えた方がいいよ」
「わかりました」
「オレもそこまで割り切れるタイプじゃないけどね。ただ、わかってて続けるのとわかってないで続けるのじゃ精神的な辛さは全然違うよ」圭は手元のウーロンハイを飲む。
「まあ、一週間だったら仕事が忙しいだけなのかもしれないよ。どうしても好きならもう少し待ってみても良いと思う」
「そうですね。もうちょっとがんばってみます。さっきの話じゃないけれど、相手が運命の人だかわかればいいのに」
「そうだね。だけど、オレは運命の人って複数いるんだと思ってる。で、目の前に現れる人って、自分が引っ張った物が引き寄せられているんじゃないかな」
「じゃあ、私が悪い男を引き寄せているってことですか」
「そういう訳じゃないよ。でも、運命の糸は何本もあって、引いた糸によって先にいる相手が違うって思うんだ。だから、もし幸せになりたいなら、自分が何を望んでいて、それを叶えるためにどんな相手が良いのか自覚した方が’当たり’を引ける確率は上がるよ」
「自分が何を望んでいるか、ですか」
「そう。たとえば、結婚しても働きたいと思っているならば、それを許容してくれる価値観の相手を探す必要があるよね」
「うーん。じゃあ、精神的なつながりを大事にしてくれる相手を求めるならば、すぐに身体の関係を求めてくる相手は選ばないってことですか」
「そうそう、そんな感じ」
「わかりました。がんばってみます」
「菜摘ちゃんが元気そうになってくれて良かったよ」圭は笑顔でウンウンとうなずいている。
「なるほど。ただ、自分で何が必要なのか自覚するのって意外と難しいだろ。たとえば、上手くいったカップルにお祝いと引き換えにフィードバックをもらったらどうだろう。成功例のサンプルを集めて、ユーザーに上手くいきやすい相手へのガイドが出来るといいかもな」
新堂さんはいつものようにスマートフォンでメモを取りはじめる。
「新堂さん、飲み会中なのに仕事熱心過ぎですよ。飲みましょう」御手洗が日本酒を片手に持って新堂さんにからむ。
「御手洗くんの言う通りですよ」蒔田の顔に笑顔が戻っている。
「お前らなぁ。まあ、飲み会中に仕事したのは悪かったよ。じゃあ、飲むぞ」
新堂さんはやけっぱちになったかのように上げたジョッキに私たちは応えた。
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